【縄文海進の地形】~縄文海進の頃 関東の地形はこうだった??~
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- Опубликовано: 17 апр 2024
- 今回は関東の縄文海進を紹介していきます。
※以下の二つの地図を参照しています。
・JAXA 『海面上昇シミュレーター』(縄文海進の様子)
data.earth.jaxa.jp/app/sea-le...
・『さいたま市立博物館展示web解説』さいたま市HP
さいたま市/さいたま市立博物館展示web解説(縄文時代その3)
www.city.saitama.lg.jp/004/00...
●現在の【関東の地形】については以下の動画をご覧ください。
【関東の地形】
・関東全体の地形
• 【関東の地形】~関東の山地・河川・丘陵などを...
【関東の地形 各都県】
・栃木の地形
• 【栃木の地形】~日光東照宮、鬼怒川温泉、那須...
・茨城の地形
• 【茨城の地形】~多様な都市が集まる茨城の地形~
・群馬の地形
• 【群馬の地形】~群馬の地形には火山が大きく関...
・千葉の地形
• 【千葉の地形】 ~都道府県の地形~
・東京・多摩の地形
• 【多摩の地形地図】 ~都道府県の地形~
・東京・23区の地形
• 【東京23区の凸凹地形】~なぜ東京23区には...
・埼玉の地形
• 【埼玉の地形】~都道府県の地形~
・神奈川の地形
• 【神奈川の地形】 ~都道府県の地形~
・関東ローム層
• 【関東ローム層】~関東を覆う地層に迫る~
※衛星写真はGoogle Mapを加工して、使用しています。
標高図は国土地理院(地図タイル)を加工して、使用しています。
地図はOpenStreetMapを加工して、使用しています。
※地形図等を重ねて、目視やなぞりながら地図を作成しています。
そのため河川や場所の位置等にズレがあるかもしれません。ご了承ください。
※個人制作となりますので読み間違い、誤字脱字等ありますことご了承ください。
※参考にさせていただいた資料
『さいたま市立博物館展示web解説』さいたま市HP
さいたま市/さいたま市立博物館展示web解説(縄文時代その3) (saitama.lg.jp)
「だいよんき Q&A」 日本第四紀学会HP
Q&A (quaternary.jp)
※引用させていただいた資料
・縄文海退の図
出典:「縄文時代その3」、さいたま市立博物館web解説、さいたま市HP
さいたま市/さいたま市立博物館展示web解説(縄文時代その3) (saitama.lg.jp)
・縄文時代の貝塚の分布図
Wikipediaの図を引用しています。
【訂正】
5:48 厚さ数年メートル → 厚さ数千メートル
5:31 日本第四紀学会
4:41 相模原市 → 平塚市・茅ケ崎市
お詫びと共に訂正いたします。
それな‼️
ガキの頃生まれ育った所が元々は海だったと聞かされた時に実感が無かったが、市内で当時一番の高層マンション建設時にディーゼルハンマーでパイルを打ち込んでから基礎工事に入る時にユンボで掘ってたの見てたら2~3m掘ったところで砂と白くふやけた牡蠣等の貝殻が沢山出てきたのを見て「本当に海だったんだ」って納得した😊
今回も見応えがありました。いつもありがとうございます。埼玉は大宮台地まで海が迫っていたのは知ってはいたのですが、こうしてシュミレーションで見ると一層興味深く感じました。埼玉は浦和の調神社の付近では、昔海から現れる月を見る月待信仰があり、東浦和にある氷川女体神社から大宮の氷川神社まで船に乗って渡る儀式があったそうです。後者は沼(見沼という)があった時代のものですが、海があった頃からのものかもしれません。その付近では竜神を祀るお祭りがたくさんありますし。神社というのも、古くは海のそばに建っていたのかも知れないと動画を見てロマンを掻き立てられました。
千葉は今でも(川で分断されてて)地続きじゃないってネタがかるけど、
見事に島だった!
ほう海水が増えると地面が海水の重さで隆起とな?
初めて知った😊
婆ちゃん家の前の川の土手にシジミの貝殻が厚く堆積していて、しじみ汁の大好きな私は「婆ちゃんいいな、こんなにしじみ汁飲んだんだ。」と子供心にうらやましく思ってました。
当時千葉県は島であった為に陸に近い離島として、海を利用する民族にとっては移り住むのに便利な地域だったのだろうなと想像出来ます。
遠浅の海岸には葦が茂り、それを使って葦船を作り、往来してたのでしょうか。
穏やかな内海を、葦船に乗って「今日は千葉の従兄の家に鹿肉を届けてくるよ」・・・なんてね。
鹿島神宮、香取神宮、大宮氷川神社は海進時代も陸地だった。ここら辺の神社は古い海岸線の近くに鎮座している。
相模国の一宮の寒川ともそうですね。台地の突端が多いですね。
下総台地の東端在住だけど、子供の頃(半世紀以上前)は畑に遊びに逝くと、耕された縄文土器=破片wがいくらでも見つかった。
農家の若い人が集めて再生?し、個人博物館つくてったほど。
栃木県南部にも、野渡貝塚、藤岡貝塚、篠山貝塚などがあります。
渡良瀬遊水池の近くですが、海産の貝も含まれています。
当時千葉県は島であった為に陸に近い離島として、海を利用する民族にとっては移り住むのに便利な地域だったのだろうなと想像出来ます。また、海岸線に住みすぐ近くに対岸があれば当然船を作って今より気軽に利用する日常だったのではと考えます。
海でこそなかったものの多摩川もぶっとかったからいわゆる国分寺崖線なんていう地形がいまだに残ってる(ご近所)
行田市のさきたま古墳も大宮半島の付け根だから良いところにあったんだなと
万葉集にさきたまの津と謳われてるくらいですからね
これを読み解くと現代の温暖化による海面上昇による影響で、陸地が無くなる訳ではない
事が分かりますね
神奈川の茅ヶ崎では「浜降祭」という寒川神社から神輿を担いで海まで行くという地元民の誇りのような祭りがあるんだが、この寒川神社から海岸まで数キロという距離だ。また寒川神社の創建年代がわかっていない。またいくら何でも数キロに渡って動く神輿など考える事はできない。
この事からも寒川神社のこの浜降祭が定着した頃には海岸線はとても内陸にあったと見るのが合理的であり、そのくらい昔から寒川神社が存在していたという証左になる。
因みにうちの近くにも貝塚が2ヶ所程あるが、それを知っている地元民はほぼ皆無だ。今住んでいる場所はこの動画上の入江に当たる場所なので河口付近となり、海水と淡水が混じる良い貝が育つ場所だったと思われる。
鹿島神宮、香取神宮、氷川神社、寒川神社は、かつて海の畔にあったんでしょうね。かなり古いですし。
海退は平安期の終わりごろに起こっていますね。関西の古い神社の記録を見ると、「かつては海辺にあった」と書かれている神社がいくつも見られます。
丁寧な解説動画いつもありがとうございます 関西の方も是非見たいです!
縄文海進の発生は日本など一部に限られるという話を聞いていたが、メカニズムをよく理解でできました
大変興味深かかった。現在の千葉県は大きな島だったのが解りました。ありがとうございました🙇
恥ずかしながら、関東は大森貝塚しか知らなかったです。こんなに各地の古代海岸線に沿って人達が居住していたんですね…😲❗目から鱗😸ありがとうございます❗
千葉に日本最大の加曾利貝塚がありますよ~。
香取と鹿島の神宮は岬の両端だったんですよねー。
まさに入り口を守るかのような位置付け。
縄文海進の名残を感じる作品として、童門冬二の平将門があります。
良い話題取り上げますねぇええええ!
現在のさいたま市の見沼田んぼ、江戸時代中期に建設されたものだけど、縄文海進の頃の地形見ると見事にその形が海岸線として浮き上がってくるね。まあ半分は海の中になっちゃうんだけども。
千葉に貝塚が多いのは、縄文時代海が入り組んでいたこともあるけれど、戦後の高度経済成長以降に人口が急増して工場や住宅地が建設されて建設途中に発見されたのも多い。昔から人が住んでいた所は、学術的な発掘調査される前に貝塚が壊されてしまったけれど、千葉の場合、日本の考古学の研究が進み学術的な調査が確立してから、開発によって発見された。
40年位前、うちの近くも貝塚と遺跡が出てきましたよ。都川の中流は海だったって感じですね。あと、2つの神宮が存在する間に香取海と言うのが広がってたそうな。2000年前はまだ海だったとか。
千葉って京都と同じぐらい掘ると出てきてしまうとこなんですよね~。
あ、加曾利貝塚も都川水系でした。
貝塚ぐらいしかでないよ。古墳はあるとこはある。あとは中世の城跡というか砦。
京都と違って室町期戦国期は何やってたんだかよくわかんない。
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それはまだまだ勉強が足りないよ。戦国期は関東の方が面白い。応仁の乱以前にもう鎌倉公方と関東管領の二派に別れて内乱が始まってたし。
チーバくんがはっきり見える。でも痩せっぽち。
栃木県の那須烏山市には、鯨の化石の発見地があります。内陸県の、しかも山奥なのに面白いなあといつも思います
それは地殻変動の影響では?
1000万年前の化石ですからねぇ...
3:15 結城あたりまで下総だったことが腑に落ちる一瞬
小学生の時に先生が調べてくれて学校前の小さな山の畑に縄文土器を拾いに行き、近くの山に貝塚を見に行った思い出がある。千葉県の安房地域、何十年もたつがそのままかもしれないな。
縄文海進した他の地域の動画もみたいな
温暖化で海水面が上がるとか大した問題でない
と思えてくる動画だった
上野の不忍池なども海の名残だそうですね
千葉の都川に近い加曽利貝塚や市原の村田川に近い草刈貝塚などは標高30m前後の内陸の高台にあるのが面白いですよね。
恐らく目の前の崖下に船置き場があり川を下って海に出たのでしょうが、海に近い場所に集落を築かない理由は津波を警戒しての事なのでしょうか。
一方で村田川河口にあった菊間実信貝塚は標高5mと縄文海進のピークを過ぎて海退が始まっている時期とはいえ本当に海に近い場所にあり、草刈を中心とした縄文勢力にとって漁業や交易の最前線拠点として機能したのかも知れません。
天気の子のED後の世界ってこれに似た地形になってるんだろうな
千葉県北西部の出身だけど小学生の頃、遠足で貝塚のあるところまで行きました。海も川も無いところに貝殻が沢山埋まっていて土器も出土されていた。近くには縄文時代の住居跡もあった。
縄文海進の凄いところは千葉の奥地に珊瑚の化石があったりして当時の気温がかなり高かったと思われる
茨城県南部(解説中の稲敷台地付近)には龍ケ崎、茎崎、江戸崎と「崎」の付く地名が多く、昔海に面していた地形を表していた(と地元の学校だったので授業で習いました)が、町村合併で龍ケ崎しか残ってません。
(土浦、美浦の「浦」は海に面していたからなのか湖としての霞ヶ浦に面していて名付けられたのか微妙ですが)
昔ながらの地名は地形の特性からリスクを推定する情報源にもなるのであまり変更しない方が良いと思うのですが…
関東平野広大だな
藻塩ならぬ貝塩なるものがあったかどうかは分からないけれども、
いわゆる塩の道を上層させてみて欲しかったね。
この図にぜひ火山灰の分布を合わせてみてみたい。
千葉の一番北、野田市の山崎貝塚を見に行った事あるよ。貝殻が汽水域に生息するシジミ類なんで、奥東京湾の最奥に近いってのが判る。地表が貝殻で埋まってるくらいビッシリだったよ。
浦和の外れにあるウチのすぐ裏手、わたしがまだ子どもだった頃は5mぐらいの崖になっていて、その下の畑地をs42年の1/25000で見てみたら「∴ 〇〇貝塚」と記されてました。小規模だし無名なので、調査は入ったにせよ遺構保存するレベルではなかったのでしょうが、そうかすぐそこまで海だったんだな…と驚いた往時の記憶です。ちなみに現在は売却⇒宅地化⇒嵩上げ造成され市道も通って十数戸のミニタウンになっています
群馬県にも貝塚があるよ。
関西の縄文海進の地形も見たいです。
地球温暖化の原因がCO2というのがインチキというのがわからりますよね
縄文時代ほどでは無いが
平安時代から戦国時代でもそれなりに内陸に海が食い込んでいたと思うので
(ざっくりで構わないので)歴史と併せた動画を作って頂けると嬉しいです
昔の東海道が藤沢付近から鎌倉→衣笠→走水→富津で
時代によっては国府台が終点だったのも間接的に海岸線の動きが関係しているかもですね(宿場の発展や衰退に影響した?)
相模から上総へは浦賀水道で渡ったことがよく分かりますね。
今でも地名で残る、下総と上総の位置関係が当時の畿内から房総半島へのアクセス上の遠近関係を表しているね
今でも上総の方が地図上では近いでしょ
昔の東海道は藤沢付近から鎌倉→衣笠→走水→富津で
時代によっては国府台が終点だった事もあるみたいですね
つまり、都からの海路だけでなく東海道的にも上総の方が近く
ヤマトタケルも途中までこの道筋だったかもですね
熱田と桑名の間の海路が類似点としてイメージしやすいでしょうか
武蔵南部は湿地帯で川も多く、まともに来れなかったと思います。浦賀から富津は今も昔も近くて直ぐですしね。
チーバ君の前身はグーフィーだったようですね。TDLが来たのも頷けるかも。😅
栃木縣藤岡市にも貝塚があります
当時の人は古い伝承を参考にして足利学校とか日光東照宮を北の方に配置したのかな
2:20 これは'Chiba Island'
昔、江戸東京博物館で縄文海進当時の地図を見ていたせいか、新聞にCO2による海面上昇予想図載っていた時。
案外大したこと無いって思った。
氷河期と間氷期の海面上昇と下降を考えれば、杞憂としか思えなくなってくる。
地元にも貝塚跡があり、自宅もその近く。
時代が時代なら自分は海の家のオヤジで、夏にはサザエでも焼いていたんでしょうなw
でもよ、が江戸っ子風に聞こえる
ちょうど十字があるあたりに住んでいますが貝塚が数カ所あります。
それでもチーバ君の形してるの凄い
デーノタメ遺跡なんかも海岸線にちかかったのかな
結構最近まで埼玉は海だった
「浦和」の「浦」が海際の意味由来という説があるからね
@@mnagashima9604語尾に「和」がつく地名って結構珍しいんよ。
神奈川の川和、愛知の河和くらいしか思い浮かばない。
「和」って何を示しているんだろうって思う。
@@koukipp
大和と書いてヤマトと無理矢理読ませる所よりも、実はこっちが本来の「和」国だったのかも?
東京にも 和田倉門ってあるね
極地の氷が全て溶けても海面上昇は70m未満らしい。意外に少ないが、拙宅は海抜20mなので水没するし、23区の殆ども同様。ま、そんな事にはならんだろうけど……?
地軸がずれて、南極大陸が温帯気候になったらどうなるんだろうな、と思った。
縄文時代に自動車とか無かった筈だけど、地球温暖化の海面上昇って案外控え目だよねぇ。
普通に、氷河期と間氷期で海面の上下は普通に起きているよな。
関東平野で海抜が低い所は何でだろう?と思っていましたが海だったのね。
埼玉にも海があったのだ!
二千年くらいで塩分は抜けるものなんでしょうか?
まさにヨコハマ買出し紀行だな…
関西も今と全く違ってた。
地球は生きてるんだな、と思った
霞ヶ浦、昔は普通に海やったんか🙄
江戸時代に利根川が付け替えられるまで印旛沼や手賀沼などと繋がった内海でした。
昔のチーバくんはスリム
縄文海進で貝塚が増えたんですよね。
縄文人はせっせと ”潮干狩り” をしていたんですね!
東京の貝塚の位置が、京浜東北線沿いと一致しています。
単なる偶然なんだろうけど。
崖下は宅地にも耕地にも適してないので用地買収が簡単だったからです。
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こんにちは
人間の活動で温暖化というのは本当なのか?
「否定は仕切れない」程度かな。
森林伐採に石炭バリバリ使っていた頃ならもう少し人間の影響も強かったかもしれない。
まぁ今でも中華は石炭中心だけれど。
恐竜がいた時代は今より平均気温が5℃高かったらしく、その後氷河期が来て、1〜2万年周期で間氷期が来るみたいだから、そのバイオリズムの上昇期にいるとも考えられると思う。
そこを利権取りたい人がアピールして儲けたいだけどしか思えない。
影響あったとして数%程度では。
多少は影響があるのかも知れない程度。
観測史というのが直近で最も気温が低い時期から元の水準に戻る過程を観測している、言わば冬から春を経て夏へ向かう途中なので、気温が右肩上がりで当然。
ここ数年で北欧の溶けた永久凍土の下からヴァイキングの武器など1000年ほど前の遺跡が見つり始めているし、鎌倉時代の徒然草にも「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とあるように、今の様な暖房器具も防寒着も無い時代ですら冬より夏の暑さ対策を重視している事からも、まだ本当に温暖だった時期の水準には届いていない事が伺える。
現在の本当の気候は「氷河期」。
氷河期中も何度か「間氷期」と言う暖かい時期がある。
間氷期はいつか終わる事がわかっている。
本当の温暖化はまだまだ数千〜数万年後。
知らんけど
千葉は離島がいい
地面は硬いと思ってたが、それほどでもないのだな。
56千年ごとに海水面が上昇するのであれば、今後海水面が上昇してくるだろう。温暖化は人間のせいばかりではない。
徳川家康が豊臣秀吉に追われて関東の地に行かされた頃の関東は酷い荒れ地だった
江戸が湿地帯だったってのがよく分かります。
関東を治めていた北条氏は250万石もあったし江戸も家康の前から北条氏政が拠点として整備していたはず
河越、岩槻同様、主要拠点であったのは確かだけど、利根川がまだ江戸湾に注いでた頃だから、直ぐ氾濫してたしね。さらにもうひとつ、荒れ狂う荒川も江戸を流れてるしね。だから家康はどうにか利根川だけでも香取の方に流せないかと大土木工事を行ったんだよね。日比谷なんかその頃海の底だし。
縄文海進の頃って、他の動画でコメントしたら、何の珍説、妄想とか言われた。知らん人が多い。
縄文時代にも温暖化してる。二酸化炭素なんて関係ないじゃん。
やべー、ゾンビみたいなちーば君が見える
地図で水色のところは地球温暖化で水没する可能性が高いので家やマンション買うべきでない。茶色のところは洪積台地で縄文海進程度では水没しないし、地震がきても地盤はしっかりしているので揺れにくく容易に崩れることも液状化することもない。印西市など免震データセンターのメッカとなっている。東葉高速線や北総開発線沿線はお薦め。新京成線、東武野田線も悪くない。
「バイオレンスジャック」の関東図と似ているな。これを参考にしたのか?
数千年後に夢の島貝塚とかいわれて発掘調査が行われる
当時千葉県は島であった為に陸に近い離島として、海を利用する民族にとっては移り住むのに便利な地域だったのだろうなと想像出来ます。